| Introduction <イントロダクション> 本DVDに収録の「ベガーズ・オペラ」は、日本では「乞食オペラ」として知られてきた作品です。1728年にロンドンで出版、初演されたこの作品は、西洋の演劇史、音楽史上に大きな足跡を残しています。 ジョン・ゲイ作の「ベガーズ・オペラ」は、英国の18世紀前半の風刺文学を論じるときには、アレグザンダー・ポープやジョナサン・スウィフトの傑作と肩を並べて取り上げられます。英国の演劇史において、演劇は道徳的な強化を図るべきだという考えが支配的になって、演劇活動が衰退した18世紀という時代において、この作品は、政治の腐敗を犯罪社会の住人が揶揄する時事風刺を試みて、市民の大喝采を浴びたことが特筆されます。舞台劇は一週間上演できれば成功という時代に、この作品は、なんと初演時に少なくとも62回以上演じられ、以後、英国演劇の人気演目の座を長く維持してきました。 英国音楽史においては、「ベガーズ・オペラ」は、定型化したイタリア・オペラに対する反動として、バラッド・オペラと呼ばれるジャンルの隆盛を生み出し、ドイツのジングシュピールにも影響を与えたと言われています。「ベガーズ・オペラ」では、登場人物は、神話の神々や英雄ではなく、観客に身近な人間となり、イタリア語のアリアは理解しやすい英語のソングに、レチタティーヴォは台詞となりました。このことをもって、この作品は、現在のミュージカルの原点と言えるのです。 英国は、1713年にスペイン継承戦争を優位に終え、国際貿易の中心となって、国力の増大を続けていましたが、国内では、貧民層の暮らしは悲惨を極め、厳しい刑罰が定められたにもかかわらず、犯罪は増え、公開絞首刑の見物に人々が群がるなど殺伐とした状態が見られたのです。時の首相ウォルポールが、公然と議員を買収して権力維持を図るなど、支配層の政治腐敗は一般市民にも知れ渡っていました。「ベガーズ・オペラ」の作者ジョン・ゲイは、犯罪社会を舞台に乗せることで、そうした現実に強力なあてこすりを行うと同時に、非オペラ的な題材を盛り込むことで、上層階級が夢中になっていたイタリア・オペラへの熱狂ぶりを揶揄しました。ゲイは、それだけにとどまらず、偽善的な道徳や、無節操な俗物根性、異性への一途な思いこみなど、誰もが無縁とはいえない人間の真実を、登場人物の行動や軽妙な台詞に忍び込ませています。 ジョン・ゲイは、1685年にイングランド南西部で生まれ、短期間、ロンドンで絹織物商の徒弟として働きますが、詩作を始めて、詩人として名を挙げます。1713年に、「ガリバー旅行記」で日本でも有名なジョナサン・スウィフトや優れた詩人のアレグザンダー・ポープを中心とするスクリブリラス・クラブの一員となり、スウィフトに勧められて犯罪社会を扱った「ベガーズ・オペラ」を書きました。その続編「ポリー」はウォルポールによって上演を禁止されますが、多彩な12本の演劇を残しました。ゲイは、劇、詩のほかにオペラの台本も書くなど、幅広い活動をしています。。彼は政府か王室で地位を得ることや有力な貴族の庇護を願って政治的な活動もしましたし、ヘンデルのオペラ「エーシスとガラテア」の台本を書いたことからも分かるように、「ベガーズ・オペラ」で風刺した世界は、彼自身が活動し、熟知した世界でもありました。 「ベガーズ・オペラ」の音楽は、全69曲のうち41曲が当時流行っていた俗謡のメロディを使い、残りの28曲は、その時代に英国で主流だった作曲家のパーセル、ボノンチーニ、ヘンデルなどの曲を借用して、ゲイ自身が歌詞を書きました(一部は、スウィフト作と言われています)。全69曲の歌の伴奏およびじょきょくを書いたのは、ベルリン生まれで英国に帰化した、バラッド・オペラ最大の作曲家となるヨハン・クリストフ・ペープシュです。 初演からちょうど200年後の1928年に、この作品を原作とした、ベルトルト・ブレヒト台本、クルト・ワイル作曲(ただし、「朝の歌」は、「ベガーズ・オペラ」の第1曲の旋律を使用)の「三文オペラ」がベルリンで初演されました。ブレヒトは、人間が社会秩序を守るために道徳的な社会を信奉しつつも、道徳を守らないことでは200年前とまったく変わっていないという現実を指摘し、ゲイが、悲惨な現実を愉快で痛快な風刺を用いて婉曲的に批判する方法を用いたのに対して、ブレヒトは現実の裏にある、人々が気づきにくくなっている悲惨さを舞台上につかみだして、直接的な批判をするという正反対のアプローチをとっています。 1992年、ジョン・ケアード演出による「ベガーズ・オペラ」がロイヤル・シェイクスピア・カンパニーによって上演されました。演出家自身が脚色も担当した、このケアード版の特色は、ゲイの原作でこの作品の作者として登場する「一人の乞食」に、ケアードはトムという名を与え、彼が仲間の乞食の一座を率いて、劇場を一晩だけ借りて上演するという設定にしたことです。ゲイの原作では、この乞食は、イタリア・オペラに作者として登場する宮廷詩人のパロディという性格が強いものでしたが、ケアードの脚色・演出では、登場人物は、劇場を貸す老役者以外は、全員が演技に不慣れな乞食たちとなり、観客も、その一座が借りた劇場で芝居を見ている人々という設定が与えられます。この設定により、舞台上の俳優は、常に観客に語りかけ、自然に物語に引き込むことができて、結果として、18世紀の観客と舞台の関係を再現するのです。 ケアード版の音楽は、イローナ・セカッチが原作の音楽に現代的な色彩を加味し、同じフレーズを別の場面で繰り返したり、他の歌と一緒に用いるなどして、作品の音楽効果を高めています。 そして2006年、日本人による新たな装置、衣装、照明、振付を得て、日本での初演が日生劇場で行われました。音楽や台本の翻訳、訳詞も、原作の精神が21世紀の観客に鮮明に伝わるように練り抜かれました。本DVDは、その舞台を20台のカメラで実況収録したもので、ジョン・ケアード自らが映像編集の監修に当たっています。 |